兼家の謀の直前に催された盛大な結縁の八講。そこに来ていた道隆や、謀の事など露ほども知らない義懐と清少納言との軽妙なやりとりが、鮮やかな色や香とともに生き生きと描かれている。
42段 小白川といふ所は
あれは私が宮入する4年前の事。小一条の大将殿(藤原済時)の御家の小白川という所で、結縁の八講が催された。とても素晴らしい事なので、世の中の人が大勢集まった。左大臣源雅信さまと右大臣藤原兼家さまを除いて、いらっしゃらない上達部はいなかった。
遅くに来る車は停める場所もない。朝露と共に急ぎ起きて行った。大混雑で人が行き交うのも難しい。轅の上に、また轅をさし重ねて停めている。三列目くらいまでなら少しか聞こえるだろう。六月十日余にして暑いこと暑いこと。こんなに暑い日は今までになかった。池の蓮に目をやり、涼を得られれば良いのだが。
二藍の直衣に指貫、浅葱の帷子が透けてみえて美しい。年配の君達は青鈍の指貫に白い帷子姿で、涼しげに見える。安親の宰相も若々しい装いで、すべて尊い事だけの八講という訳ではない。物見としても素晴らしいのだ。廂の御簾を高く巻き上げて、長押の上に上達部たちが長々と列をなしていた。その下には殿上人がいらっしゃる。若い君達の狩装束や直衣なども風情がある。落ち着いて座ってもいられず、ここかしこに立ち彷徨い遊んでいるのを見るのもとても楽しい。実方の兵衛佐、長命の侍従など、小一条の家の子なのでこの場に出たり入ったりで、まだ童の君達などもとても可愛らしい。
少し日が高くなった頃に、今の関白殿、三位中将道隆さまがいらっしゃった。唐様の薄物、二藍の直衣に指貫、濃き蘇枋の御袴に白く映える単衣で、とても色鮮やかな出で立ちで歩いている。軽やかで涼しげな君達の中にあって、少し重そうな感じもするけれど、とても存在感があり立派だ。細塗骨など、扇の骨は他とは違うが、ただ赤い紙を他の人と同じように使って持っている。皆が赤い扇なので、遠くから見ると撫子がそこら中に咲きほこっているようだ。
講師もまだ高座にのぼらない頃に、懸盤をいくつか出している。きっと何かを召し上がるのだろう。義懐さまも普段にも増して静謐としていらっしゃって、この上なく素晴らしい。上達部の御名などは書きとめるべきではないのだが、あれは誰だったかと、少し時間が経てば忘れてしまうので書き記しておくことにする。いずれ劣らず色合いが華やかで鮮やかな出で立ちの上達部の中で、この人はただ直衣一つを着ているように帷子を着こなしている。女性の車の方を見やりながら、従者を遣わしては何度も誘おうとする、その様子を注目しない人などなかった。
遅れて来て止める場所もなく、池に近いところに立てている女性の車があった。義懐さまはそれを目ざとく見つけて、実方の君に、「誘いの言葉を見事に伝えられる者を誰か呼べ」と言っている。選りすぐって連れてきたのはいったいどのような人なのだろうか?
「どう誘ったら良いだろう? 」
近くに居らっしゃる人達で相談しているが、やりとりしている内容は聞こえなかった。使いの者がとても気を遣いながら女性の車の元に歩みよった。それを冷やかして笑い飛ばしてる君達もいらっしゃる。使いは車の後の方に近寄って、長い時間突っ立っている。
「歌など詠んでいるのだろうか? 兵衛佐、返歌を考えておけよ」など笑っている。返事を疾く聞きたいものだと、大人達、上達部まで、皆そちらの様子を窺っている。その様子が筒抜けで本当に滑稽だ。
返事は聞いたのだろうか? 使いの者がこちらへ少し歩を進めた時、車から扇がさし出されて呼び戻された。歌を伝え間違えたのだろうか? 長い時間かけた歌なら尚更直す必要などないというのに。皆は使いが近くまで戻ってくるのも待ち遠しくて、「どうだった? どうだった? 」と、忙しなく問うけれど、使いは何も答えようとしない。義懐さまの近くまで来て、緊張した面持ちで申しあげようとすると、道隆さまが「疾く言へ、もったいぶって場を壊すな」と言う。「いずれにしても結果は同じ事です」為光は、使いの者の顔を大きく覗きこんで、「なんと言ったのだ? 」とおっしゃられた。道隆さまが「とても真っ直ぐな木を押し折ったようなものだ」と言い、為光さまがお笑いになるので、皆何ということなくつられて笑い出す。そのやりとりが車に届いているのじか少し気になる。
「呼び返される前には、なんと言っていたのだ? これは言い直した返答なのか? 」と義懐が問う。
「長い間立って侍っていましたが返答がないので、『それでは戻ります』と言って帰ろうとするのを、呼び止められて」と使いが申し上げた。
「誰の車なんだろう? 知っている者はいるか? 」などやりとりしていると、講師が高座に上がったので、みな座って静かになった。講師を見ているうちに、この車は消えるようにいなくなってしまった。あの車、下簾などは今日下ろしたばかりと見えて、濃き単襲に、二藍の織物、蘇枋の薄物の表着などにて、後の方には摺り出した裳を広げながら、うち懸けなどしている、いったい何者だろう? それにどっちつかずの返事をするよりは、素直な感じでむしろ気持ちが良かった。
朝座の講師清範は、高座の上も光り満ちる心地がして尊いが、やりきれない暑さで最後まで聞いていられない。今日中に終わらせなければいけない用事も打ちやってきたので、少しだけ聞いて帰ろうと思っていたのだが、次々と押し寄せる車の奥になってしまい帰るに帰れない。朝の講が終わったら、何とかして退出しようと思って、前(=後ろ、車が後ろ向きにたててある)の車に伝えると、皆、講師清範に近付ける嬉しさに、すぐに自分の車を引き出して場所を開けてくれようとする。それを君達がご覧になって、とてもやかましい声で罵詈雑言を浴びせてくる。老上達部までもが私を笑いものにする。それでも非難には耳も貸さず相手にもせず、狭い所から何とか出やると、義懐さまが、「やや、退くも亦良し」と言って、笑っていらっしゃる。法華経方便品の一節増上慢のやりとりとは心憎いものだ。やっとの思いで何とか広い所に出られたので、使いの者を通して「五千人の中にお入りにならないこともないでしょう」と義懐さまに伝えて帰って来た。
八講の初めの日から最後の日まで、あの女性の車は来ていたが、人が近寄ることもなく、まるで絵などのように動かずに過ごしていたのはただ驚くばかりだが、近頃珍しいほど素晴らしく心惹かれる。どういう人なのだろうか? 義懐さまが素性を人に聞いてまわったというのを耳にしたが、藤大納言さまは「何が素晴らしいものか、とても気に入らない、忌まわしい者に違いない」とおっしゃられたという。
その月の二十日あまりに、義懐さまが法師になったというのは気の毒なことだった。桜などが散ってしまうのも、やはり世の常なのだろう。「老いを待つ間の」とさえ少しばかり言えることさえ出来ぬご様子であった。