(写真はWikipediaより引用)
忯子の死で、花山天皇は出家を願い側近に告げる。義懐は頼忠らと翻意を促すが、兼家はこれを千載一遇のチャンスと見る。信心深い天皇の心の隙に付け込み政権をわが手に引き寄せようとする。
兼家の次男の道兼は、自分も一緒に出家すると花山天皇を謀り、花山寺に連れて行く。途中、忯子の手紙をとりに戻ろうとするが引き止められる。安倍晴明はこの異変に気付き、式神を宮中へ行かせようとするが、晴明の家の前を丁度通り過ぎた時だった。花山寺に着き天皇は剃髪するが、道兼は、いったん家に戻り父の兼家に変わりなきことを伝え必ず戻って出家すると天皇に伝える。そこで花山天皇は騙されていたことを悟り、涙に暮れる。
(古事談より)
花山天皇が頭痛に悩まされたとき、安倍晴明から、「前世は修験者であり、その時の功徳で、今天子様となられた。大峰で修行の末、入滅されたが、髑髏が岩によって締め付けられている。」
これを聞いた天皇が従者に見に行かせたところ、まさしく言われたりさまであった。髑髏を岩から取り外すとたちまち頭痛が治癒したという。
(大鏡より 角川S44)
あはれなる事は、おりおはしましける夜は、藤壺の上の御局の小戸より出でさせたまひけるに、有明の月のいみじうあかかりければ、「顕証にこそありけれ。いかがすべからむ」と仰せられけるを、「さりとて、とまらせたまふべきやうはべらず。神璽・宝剣わたりたまひぬるには」と、粟田殿さわがし申したまひけるは、まだ帝出でさせおはしまさざりけるさきに、手づからとりて、東宮の御方に渡し奉りたまひてければ、かへり入らせたまはむ事はあるまじくおぼして、しか申させたまひけるとぞ。さやけき影をまばゆく思し召しつるほどに、月のおもてにむら雲のかかりて、少しくらがりゆきければ、「わが出家は成就するなりけり」とおぼされて、歩み出でさせたまふ程に、弘徽殿の女御の御文の、日ごろ破り残して御目もえはなたず御覧じけるを思しいでて、「しばし」とて、取りに入らせおはしまししかし、粟田殿の、「いかにかく思し召しならせおはしましぬるぞ。ただ今過ぎさせたまはば、おのづからさはりも出でまうで来なむ」と、そら泣きし給ひけるは。
さて土御門より東ざまにゐて出だしまゐらせたまふに、晴明が家の前をわたらせたまへば、みづからの声にて、手をおびたたしく、はたはたと打つなる。
「帝おりさせたまふと見ゆる天変ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな。参りて奏せむ。車に装束せよ」といふ声を聞かせたまひけむ、さりともあはれに思しめしけむかし。「かつがつ、式神一人内裏へ参れ」と申しければ、目には見えぬ物の、戸をおしあけて、御後をや見まゐらせけむ、
「ただ今これより過ぎさせおはしますめり」といらへけるとかや。その家土御門町口なれば、御道なりけり。
花山寺におはしましつきて、御ぐしおろさせたまひて後にぞ、粟田殿は、「罷り出でて、大臣にも、かはらぬ姿、今一度見え、かくと案内申して、必ず参りはべらむ」と申したまひければ、「朕をばはかるなりけり」とてこそ泣かせたまひけれ。あはれに悲しきことなりな。日頃、よく「御弟子にてさぶらはむ」と、契りすかし申したまひけむがおそろしさよ。