(写真はWikipWikipediaより引用)
花山天皇がどれだけ忯子の事を愛していたかがわかる重要な願文を記す。
(原文)
為大納言藤原卿息女女御四十九日願文 慶保胤
弟子為光、前白佛言、夫天不為世之貪生而輟其死。命不以人之悪夭而長其齡。誠是自然之理、有涯之悲也。
弟子有一息女、最所鍾愛也。素思進燕寢、不欲混俗塵。去年初促二八迴之桃李、得列八十餘之綺羅。彼才色雖非絶代、恩寵亦不愧人。清涼之春花、日遲或賜共翫。弘徽之秋月、夜永不許獨看。弟子雖思溫樹之不語、難忍德澤之有餘。從其夢結蘭芬、心祈蓬矢、有身暫退陋巷、有禁久在腋庭之故也。
當斯時、累旬有恙、萬方不痊。於是天使相望雲泥之間、手命欲滿巾箱之裏。弟子上泣聖明之恩、下泣父子之愛。去七月終、即世矣。
昔日、李夫人之反魂、尚可勞方士。大長者之出孕、竊欲恨如來。袁哉、片時不見、鬱腸宛如千萬秋。痛矣一夕相離、老淚巳且四十餘日。弟子欲訪旅魂而未由、故圖金人以為使。將通音信而無便、兼寫寶偈以代書。不聞于今仁王垂哀憐、不知又我老身忘寢食。
及于忌辰、奉圖繪法華曼荼羅一摸、奉書寫金字妙法蓮華經一部八卷、開結、阿彌陀、般若心等經各一卷。便於法性寺、敬以奉供養。所生功德、消滅黑業。
努力莫為人中之雲雨、自愛不受天上之快樂。又欲其奈此五障何、欲其奈彼五衰何。弟子早引幽靈、偏在極樂。彌陀尊之設蓮臺、望上品又仰下品矣。法華經之說佛果、令我女不異龍女焉。彼即身也、是後身也。何疑哉、何疑哉。人皆有才無才、各言其子。佛願有罪無罪、定救我兒。乃至六趣四生、莫不引接。敬白。
寬和元年 閏八月二日
弟子 正二位 行大納言兼春宮大夫 藤原朝臣為光
(読み下し文)
弟子為光、前みて仏に白して言はく、夫れ、天は世の生を貪る為に其の死を輟めず、命は人の夭を悪むを以て其の齢を長くせず。誠に是れ、自然の理、有涯の悲なり。
弟子一息女有り、最も鍾愛する所なり。素より燕寝に進めむことを思ひて、俗塵に混ぜむことを欲はず。去年、初めて二八廻の桃李を促し、八十余の綺羅に列なることを得たり。彼の才色絶代に非ずと雖も、恩寵亦人に愧ぢず。清凉の春花日遅くして、或は共に翫ぶことを賜ふ。弘徽の秋月夜永くして、独り見ることを許さず。弟子、温樹の語らざることを思ふと雖も、徳沢の余り有るに忍び難し。其夢に蘭芬を結び、心に蓬矢を祈る。身有りて暫くして陋巷に退くは、久しく腋庭に在りて禁有る故也。
斯の時に当たりて、累旬恙有り、万方すれども痊へず。
是に於いて、天使雲泥の間に相望み、手命巾箱の裏に満ちなむとす。弟子、上は聖明の恩に泣き、下は父子の愛に泣く。去七月終に即世す。
昔日、李夫人の魂を反すも尚方士を労し、大長者の孕を出すも窃かに如来を恨まむと欲す。哀しいかな、片時も見ざれば欝腸宛も千万の秋の如し。痛ましいかな、一夕相離るれば老涙已に四十余日に且とす。弟子、旅魂を訪ねむと欲すも未だ由なし、故に金人を図りて以て使ひと為す。音信を通せむとしかれども便り無く、兼ねて宝偈を写して以て書に代ふ。聞かずや今仁王哀憐を垂る。知らずや又我が老身に寝食を忘る。
忌辰に及びて、図絵し奉る。法華曼陀羅一摸。書写し奉る。金字妙法蓮華経一部八巻、開結、阿弥陀、般若心等経各一巻。便ち法性寺に於いて敬ひて以て供養し奉る。所生の功徳、累業銷滅せよ。
努力人中の雲雨と為ること莫れ。自愛して天上の快楽を受けざれ。又、其の此の五障いかむせむとす。其の彼の五衰いかむせむとす。弟子、早く幽霊を引いて偏に極楽に在らしめむ。弥陀尊の蓮台を設くる、上品を望み又下品を仰ぐ。法華経の仏果を説く、我が女をして龍女と異ならざらしめむ。彼は即身なり。是は後身なり。何ぞ疑はむや、何ぞ疑はむや。人皆才有るも才無きも各其子を言ふ。仏願はくは罪有るとも罪無くとも、定めて我が児を救ひたまへ。乃至、六趣四生、引接せざれむこと莫れ。敬白。
(現代語訳)
弟子為光、仏の前に進んで願いを宣べる。天は生を続ける為に其の死を止めたりはしない、命は人の若さを嫌うことで其の齢を長く留めるものではない。誠に是れ、自然の理、有涯の悲である。
弟子には一人の息女がおり、最も鍾愛する所であった。元より天子の女御になるために、俗世間の煩わしさから遠ざけてきた。去年、初めて16歳で入内し、大そう多くの調度品に囲まれ、女御となった。天皇の寵愛は深く、恩寵は身に余るほどであった。日が遅々として進まない時、清凉の春花を詠う時もいつも側に置いていただいた。弘徽殿の秋は夜が永く、月を詠んだりする時も、独りで見ることはなかった。宮中の事はあまり語ってはいけないのだが、とにかく余り有るほどの徳沢を与えられた。蘭香(懐妊)の夢を見た、心に蓬矢を放ち皇子であることを祈る。身重になっても宮中にいて、狭くむさ苦しい我家に里居することは、長い間許されなかった。
里居が許されたが、数十日経っても快方に向かわない。あらゆる手段を尽くしても癒えないので、天皇が宮中から使いを何度も我家へ向かわせ、手づからの命文が箱いっぱいになった。弟子、天皇の聖明の恩に泣き、父子の愛に泣く。去る七月、終に即世した。
いにしえの(武帝の后妃であった)李夫人の魂を呼び寄せたと言われる香も徒労におわり、大長者は出産できたというのに、こちらは産まれない。窃かに如来を恨むほどである。哀しいかな、片時も見ざれば欝腸宛も限りなく長い。痛ましいかな、一夕相離れれば老いた身の涙は既に四十余日になる。弟子、旅立った魂を訪ねたいとと欲するのだが未だ有効な手段はない、故に金と人を頼りにして息女への使いとしよう。音信を通じたいのだがあの世へ届く便りも無く、兼ねて宝偈を書写してそれに代えよう。聞こえないだろうか、天皇の慈悲の心が、知り得ないだろう、我が老身の寝食を忘れるほどの深い悲しみを。
法会で、絵画を奉納する。法華曼陀羅一巻を書写し奉納する。金字妙法蓮華経一部八巻、開結、阿弥陀、般若心等経各一巻。すぐに法性寺に於いて敬いて供養し奉納する。所生の功徳、累業消滅せよ。
雲や雨になることのないように。自愛して天上の快楽を受けないように。又、五障ある身として生まれ変わらないように。五衰は誰の身にも現れるものだから。弟子、早く幽霊を引いてただ極楽に連れて行ってください。弥陀尊の蓮台を設けます、九品の中の上品を望み、又下品を仰ぐ。法華経の成仏を説く、我が女を龍女にしてください。彼は生身です。是は生まれ変わりです。何を疑うことがありましょうか、何を疑うことがありましょうか。人は皆、才有る者も才無き者も各々我が子の事を可愛がる。仏願はくば、罪有るとも罪無くとも、我が子を救いたまえ。あるいは、六道四生、極楽浄土へ導いてくださいますように。
敬白。