太政官庁の倚子
長徳元年、七月二十二日に道長さまは太政官庁に新調した倚子を立てさせた。通常、椅子に着座することは許されない。最高権力者であることを誇示するためだ。
二日後、右大臣道長さまと内大臣伊周さまが仗座において闘乱まがいの口論となり、太政官の上官及び陣官の人々や随身は、壁の後ろに群がり立ってこれを聴いていた。
「内大臣、今度私の歌会にでも来ぬか。来るのなら末席を用意しておこうぞ」
「調子に乗るな。帝はお主より私の事を頼りにしてくれている。宮さまも勿論のことだ。東三条院さまの後ろ盾でどんな企みをしようと、最後に関白になるのはこの私だ」
「無礼な、言葉を控えよ」
——しかし、確かに一番心配なのは帝の心変わりだ。ここらでもう一手打っておかねばならぬ
これまでの伊周まの儀式における様々な高圧的な振る舞い。儀式の手順を間違えているのに、それを正そうとする多数の年長者の意見さえ覆す伊周さまの傲慢さ。伊周さまに対して不満を募らせていく者たち。そして、叔父である自分に対する不遜な態度。その全てが道長さまを怒りで覆い尽くしていく。
——伊周をこのままでいさせてはならぬ。必ずや宮中での居場所を完全に取り上げてみせよう
道長の謀
「斉信、伊周はお主の妹の所にまだ通っているのか? 」
「はい、三日と空けずに通っております」
「そうか。花山法皇もお主の妹の所に通っていると言うではないか」
「そんなことまで、存じあげていらっしゃるとは」
「花山法皇の女好きは有名だからな。忯子さまがお亡くなりになられた時は、あんなに落ち込んで出家までしたというのに。その忯子さまの妹御に熱をあげるとは」
「伊周と相手は違うのか」
「はい。花山法皇は末妹で、伊周はそのすぐ上の姉に熱を上げています」
「そうか、花山法皇は自分が女好きだと噂になるのが嫌で忍んで会いに来ているのだろう。花山法皇の相手が誰であるかは家人以外は知らぬことだな? 」
「知っている者は他にはいないと思います」
「……ひとつ頼まれてはくれぬか。花山法皇と伊周は同じ娘に熱をあげているという噂を流すことはできるか」
「……出来ることは出来ると思いますが、いかにしてそのような事を? 」
「伊周がそのことで花山法皇に恨みを持ち、何かいざこざでも起きると面白いとは思わぬか。さすがに法皇との揉め事ともなれば、帝でも伊周のことを庇いだてする訳にはいかぬだろう。揉め事までとはいかないかもしれないが、こういう噂が立つだけでも今の伊周には痛手となるとは思わぬか」
「確かに、何か問題でも起きれば伊周の関白の芽を完全に潰すことも出来ますな。まずは家の者を使ってそれぞれの従者に噂を流しましょう」
「帝の耳に入れる手筈は儂がなんとかしよう。法皇の従者と伊周の従者たちが鉢合わせたら面白いことになるぞ」
斉信さまは故一条太政大臣藤原為光さまの次男であり、花山天皇や伊周さまが御通いになられている御方も為光さまの三の君さまと四の君さまである。斉信さまとは母が違うが義兄妹の関係だったのだ。
——ついでに、宮さまが一番頼りにしている清少納言も引き離してしまおう。内からも崩してみせようぞ
七月二十七日、七条大路で合戦があった。右大臣道長さまの僕従と中納言隆家さまの僕従たち多数が入り乱れての大乱闘だった。隆家さまの従者は多数の弓箭の者を引き連れており、そのうちの一人の玉手則武は道長さまの従者2人を矢で射ってしまった。
その六日後、この時の乱闘を恨みに思っていた隆家さまの従者が、とうとう道長さまの随身を殺害した。翌日、道長さまは隆家さまが下手人を差し出さないのなら、内裏に参ってはならないと奏上し、帝はこれを支持なされた。
八月十日、伊周の外祖父の高階成忠さまが、陰陽師を招き私的な祈祷を行った。これは、成忠さまが伊周さまを中心とする中関白家と、その中関白家と運命を共にする高階家の安泰を願っての事であった。しかし、道長さまはこの好機を逃さなかった。この祈祷は伊周さまが企てたもので、道長さまを呪詛したものだという噂を広く流布させたのだ。
そして八月二十九日、道長さまの奏上により行成さまが蔵人頭に任命された。これで、帝を取り巻く人固めは終わった。後は行成さまを使って帝を思いのままに動かせば良いだけだ。
故殿道隆さまの御ために月ごとの十日、御経仏供養が行なわれていた。
九月十日は、職の御曹司にて執り行うことになった。上達部、殿上人がとてもたくさんいらっしゃった。文殊の化身と言われた説経名人の清範さまが講師で、説く事がとても悲しく心に突き刺さる。特にもののあはれと馴染みの深くない若い人たちも皆涙ぐんでしまうほどだ。
供養が終わり酒宴が催された。
「月秋として、身いづくにか」
頭中将斉信さまはうち誦じられた。
——南楼嘲月之人 月与秋期 而身何去 本朝文粋 巻十四
月は秋になれば現れるのに、道隆さまの身は今何処にあるのだろう? どうしてこんなこの場にぴったりの歌が思い出されたのかと、とても素晴らしく感じ、宮さまがいらっしゃる所に参上した。宮さまは立ち上がり、私のところまでおいでになられた。
「めでたしな。本当に今日の法事を歌っているようですね」
「それをお伝えしたくて、途中で見るのを止めて参上しました。どうにも素晴らしくてたまらなくて」
「少納言は猶の事、特別にそう感じるようね」
宮さまは笑っていた。
「斉信さまは、道隆さまがお亡くなりになってからというもの、道長さまの歌会に良く顔を出しているそうよ」
「従弟ですものね、年も一つ違いで相当仲が良いみたいよ」
「詮子さまと道綱さまが後ろ盾となって、道長さまを後継者にと考えているようよ」
「後を継ぐのは伊周さまじゃないの? 」
「道兼さまがお亡くなりになって、道長さまは今や伊周さまを抜いて右大臣になられたわ。それに、伊周さまは殿上人たちの間でも少し評判が悪いらしいの」
「斉信さまはこちらに顔も見せなくなってきた。少納言の局には良く来ているらしいけれど……」
十月二十二日、帝は岩清水行幸から還御し、女院詮子さまがいらっしゃった。
「伊周が道長を呪詛したと言うではないか。わらわの事も呪詛しようと聞いておる。恐ろしいことじゃ」
「……」
伊周さまは帝が心を許せることが出来る方の一人であり、何と言っても愛する宮さまが最も頼りにしている兄でもあるのだ。内心、複雑な気持ちで詮子さまの話を聞いている。
「このまま放っておけば、伊周は力を手に入れるまでどんなことでもするに違いない。帝までも手に掛けようとするかもしれない」
「頭弁行成よ、お主はどう思う」
「はっ、内大臣は、道隆さまが病悩の時に帝の内覧の勅語に抗議したり、宣旨すら書き換えようとしたことがあります。それに若さゆえの性急さが目立ちます。もう少し様子を見る必要があるかもしれません。道長さまの呪詛の件は阿闍梨仁海僧正にお伺いしました。確かに高階成忠さまが道長さまを呪詛したとのことです。その少し前に成忠さまの屋敷に内大臣が訪ねていたようです。近頃の内大臣の行状や評判を考えると、このままでは高階家も立ちいかなくなる、そうなる前に右大臣道長さまを陥れようと考えたというのも頷ける話です」