花山法皇奉射
翌年の長徳二年正月十六日、頭中将藤原斉信さまは、夜が明けぬうちに道長邸に参上した。
「夜半に鷹司小路の邸宅を出たところで、内大臣伊周さまと中納言隆家さまが花山法皇と鉢合わせになり、隆家さまの従者が花山法皇に矢を射るという事件が起こりました。法皇さまに仕える童子二入が殺害され、その首が持ち去られました。矢は法皇さまの袖を貫通しましたが、失心寸前になりながらも命からがらで無事逃げ帰ったとのことです」
「なんと。そんなとんでもないことが本当に起きたのか。法皇さまに弓を引いたというのは確かな事か」
「はい、間違いありません」
「法皇さまは勿論、このことを帝に奏上するのだろうな」
「いえ、それが法皇さまは公にはしたくないと」
「何故じゃ、それほどの仕打ちを受けたのだぞ。命の危険すらあったはずじゃ」
「『このこと散らさじ、後代の恥なり』と法皇さまがおっしゃられました。身分を弁えず、道に外れた恋情を抱く報いとして、後代にまで語り草となることは避けたいということのようです」
「法皇さまがそういうおつもりなら、私から奏上するしかないな。斉信よ、この事件を世に広く知らしめよ。伊周を言い逃れできぬところまで追いつめてやろうぞ」
道長さまは夜が明けてすぐに内裏に参上した。
「帝、夜半に花山法皇が内大臣と中納言に矢で射かけられました。幸い命に別状はありませんでした。」
「内大臣が……、何という事を… 」
「しかも法皇さまに仕える童子二人が首を胴体から切り離され持ち去られました」
「何と恐ろしいことを…… 」
「内大臣と中納言を捜させてよろしいでしょうか」
「……すぐに実資を参上させて捜検させるが良い。五位以上の宅であるとはいっても、事情を奏上せずとも良い、直ちに捜検するように」
正月二十五日の除目の日、内大臣伊周さまの円座は撤去された。
二月五日、道長さまから内大臣と中納言の捜検の命を受けた検非違使別当の実資さまは、殺害事件として左衛門権佐源孝道以下の検非違使らを伊周さまの家司宅へ遣わした。
「内大臣家司の紀伊前司菅原董宣宅を捜検したところ弓箭を帯ぴた者八人を捕縛しました。同じく内大臣家司の右兵衛尉源致光宅を捜検したところ検非違使が到着する前に七、八人の兵が逃げ去ったとのことです。噂通り、内大臣は多くの私兵を雇っていたようです」
「内大臣と中納言はどうした、どこにいるのじゃ」
「内大臣も中納言もどこを捜しても見つかりません」
「そうか、宮になんと伝えれば良いのか……。なぁ実資よ、いったい我はどうすれば良いのじゃ」
二月十一日、公卿たちが近衛陣に集まって陣定が行われた。頭中将藤原斉信さまが杖議に出て、伊周さまと隆家さまの罪名を勘申するように、右大臣道長さまに勅命を下された。それを聞いた公卿たちは満座傾き嘆き悲しんだという。
またこの日は、宮さまが行啓される予定の日であったが、帝の仰せにより延引になった。宮さまは予定を変更し、職の御曹司に暫くの間滞在することになった。
二月二十五日、宮さまが職の御曹司に出かけられた。私は御供につかないで梅壼に残っていた。次の日、頭中将斉信さまから手紙が来た。
——昨日の夜、鞍馬へ参詣に行ってきました。今宵は方塞がりだったので方違えを余儀なくされたため、まだ明けない時分に帰ることになるでしょう。必ず伝えなければいけないことがあります。局の戸を何度も叩かせないように待っていてくれますか
同じ日、御匣殿からのお誘いの手紙が来た。
——今日はこちらに泊っていきなさい
少し迷ったけれど御匣殿のところに参上した。
伊周さまと隆家さまの話になった。「本当にそんな事が起きたのだろうか、これからどうなるのだろう、宮さまはどのような様子なのか」と御匣殿が訊ねてくる。「大丈夫です」と返答するが、これからどうなるのか私にだってわからない。「帝が庇ってくれるわよね」と聞かれるが、こうなっては確かに帝だけが頼りだ。
夜も遅くまで話し込んだので、ぐっすりと眠って遅くに局へ戻った。
「昨夜、戸を何度も叩く人が参りました。やっとのことで起きて対応しますと、『上にいるのか。それならばこう伝えよ』と言われましたが、『お聞きにならないと思いますよ』と言って帰ってもらいました」
留守番の女房が言う。気の利かないことだと思って聞いていると、主殿司がやって来た。
「頭中将殿が、『今から退出するのでお聞かせしたいことがある』と申しております。」
「やることがあるのでこれから梅壺に参上します。そこでお待ちいたします」
私は梅壺に参上した。戸をいきなり開けられるかもしれないと考えると心がときめいてきた。気になって仕方がないので、梅壼の東面の半蔀を上げて待つことにした。
人の気配がした。斉信さまだろう。
「ここに」
私から声をかけると、立派な姿で歩み出てこられた。桜の直衣がとても花やかで、裏地の色艶はえも言われずほど清らかで美しい。葡萄染のとても濃い指貫に藤の折枝の模様を惜しみなく織り散らしている。紅の色、打ち目などが輝くばかりに見えた。下に白き薄色などをたくさん重ねている。簀の子が狭いので、片足の方は縁から下におろしながら、少しだけ簾に近く寄り沿っていられる様子は、絵に描いたり、物語の中での描写のように、まさにこれこそはと思える景色だ。
庭の梅は、西は白梅で、東は紅梅。少し落ちかかっているけれど依然素晴らしい。うらうらと陽が柔らかく射し、長閑で人に見せたいほどだ。簾の内側で若やかなる女房などが、髪は麗しく長く背中にこぼれかかり寄り添っているのなら少しは絵になる。それが女盛りもとうに過ぎた私が、髪なども自分のではないから所々わななき散り乱れて、そもそも道隆さまの喪中でいつもとは違う格好なので、色があるかないかわからないほどの薄鈍や重ねの色もはっきりしない。この物語のような情景に全く映えもせず、宮さまもいらっしゃらないので裳も着ず袿姿でそこに座っているこそが、折角の雰囲気をぶち壊していて残念だ。
「これから職の御曹司へ参上する。宮さまに言伝はないか。いつ参上する? 」
「昨夜は夜が明ける前に出て来て、いくら何でも前から言っておいたのだから待っているだろうと思っていた。月がとても明るい時分に局の戸を叩いたのだが、やっとの事で寝惚けて起きてきた女房の対応の心の無さよ」
斉信さまがお笑いになる。
「ひどく嫌になってしまった。どうしてあんなものを置いているのだ」
本当にその通りであったろうと、可哀そうでもあり面白くもある。暫くして梅壺をお発ちになられた。
外からこの光景を見たなら、内にはどんな素晴らしい女性がいるのだろうかと心を躍らせるだろう。反対に奥の方から見られたならば、私の後ろ姿からはそんなに素敵な男性がいるとは決して思いもしないだろう。それほど、斉信さまと私の装いは不釣り合いなものだった。
日が暮れたので、職の御曹司へ参上した。宮さまの御前に人々が多く集っていて、物語の良し悪しや、気に入らない所などを品定めしていた。
「そうそう、昼に頭中将が参上しました。少納言が見たならどんなにか賞賛し、その姿に夢中になっていただろうと思う」
宮さまは私を目にとめると斉信さまのことを話し出した。そこにいた他の皆も、斉信さまがいつにも増して素晴らしかったと賞賛する。
「まず、その事をこそ申し上げようと思って参上しました。物語の話に紛れてしまって、でも本当に素晴らしくて最高に気高く、それこそ物語の中にでも出てきそうで」
私は先ほどの斉信さまとのやりとりを一部始終お伝え申し上げた。
「ここにいる皆が皆頭中将を見たけれど、そのように細かく糸を針に通すほどじっくりと見てたのは少納言だけよ」
宮さまが笑う。
「『方違えで訪れた西の京という所が荒れ果てていました。一緒に見てくれる人がいたら良かったのですが。垣根なども皆破れて、一面に苔が生えていて、あちらはあんな状況なのですね』など話してくれました。宰相の君が、白氏文集にかけて『瓦の松はありましたか』と聞いたのをとても褒められたのよ。『西の方去れることいくばくの御いのちぞ』と心の浮かぶままに吟なされて、とても素敵だったわよ」
白氏文集 巻四 驪宮高
翠華不來歲月久 牆(垣)有衣兮瓦有松
女房達がこぞって、うるさいほど斉信さまの事を教えてくれるのがとても嬉しかった。
ただ、一部の女房達は陰で良からぬ噂話を始めていた。
「法皇さまのことは斉信さまが道長さまに告げ口をしたらしいわ。少納言も本当は知ってたんじゃない? 道長さまとも繋がってるっていうわよ」
知らず知らずのうちに、私も巻き込まれていた。この頃から道長さまと詮子さまの嫌がらせは徐々に増えていき、宮さまの行幸なども悉く中止や延期を余儀なくされ、女房達にも不満の渦が止めどなく広がっていった。
三月四日、実資さまは内裏に参上して、宮さまの遷御の段取りの確認をしていた。
遷御先の二条北宮は伊周さまの邸宅であり、宮さまはその北家に住まわれたので、二条北宮と呼ばれたのだ。
「左馬寮は詫び状を進上しましたので供奉することが出来ません」と外記が申しあげている。実資さまは帝に事情を奏上した。
「今日、既に赦した、早く供奉させるように」
実資さまは外記にその事を伝えて、今度は宮さまのいらっしゃる職の御曹司に参上した。
宮さまに言われて、目立たぬように御輿ではなく檳榔毛の御車を用意した。
「宮さま、外は雨が降っております。お濡れになられぬようにお気をつけて御車にお乗りください」
宮さまは、戌の剋に陽明門から御出した。雨は更に強くなっていた。左大弁平惟仲さまと右兵衛督俊賢さまのお二人が従った。遷御先が伊周さまの邸宅であることなどから、他の公卿たちは皆、身の処し方に困り、障りを申しあげて家に閉じ籠っていた。
宮さまは雨の降る中を二条北宮に遷御した。本来あるはずの里第での饗宴も一切無かった。