(写真はWikipediaより引用)
花山天皇の退位から一条天皇の即位までの期間の出来事は、実資の小右記からはすっぽりと抜け落ちている。大鏡の内容は史実だったのか? それとも後世の手によるものだったのか? 今となっては知る由もない。ただ、この後、藤原定子が立后し、清少納言が出仕することで、枕草子が生まれたのだ。やっと登場人物が出揃った。
大鏡より引用
又、ついでなきことにははべれど、怪と人の申す事どもの、させる事なくてやみにしは、前の一条院の御即位の日、大極殿の御装束すとて、人々あつまりたるに、高御座のうちに、髪つきたるものの頭の、血うちつきたりけるを見つけたりける、あさましく、いかがすべきと行事思ひあつかひて、かばかりの事を隠すべきかはとて、大入道殿(兼家)に、『かかる事なむさぶらふ』と、なにがしの主して申させけるを、いとねぶたげなる御気色にもてなさせたまひて、物も仰せられねば、もし聞し召さぬにやとて、 又御気色たまはれど、うち眠らせたまひて、なほ御いらへなし。いとあやしく、さまで御殿籠り入りたりとは見えさせたまはぬに、いかなればかくはおはしますぞと思ひて、とばかり御前に侯ふに、うち驚かせたまふさまにて、『御装束ははてぬるにや』と仰せらるるに、聞かせたまはぬやうにてあらむと、思し召しけるにこそと心得て、立ちたうびける。げにかばかりの祝ひの御事、また今日になりて停まらむも、いまいましきに、やをらひき隠してあるべかりける事を、心肝なく申すかなと、いかに思し召しつらむと、後にぞ、かの殿もいみじく悔いたまひける。
現代語訳
又、いきなりですが、怪と人が話す事の中で、何事もなかったかのように振舞った話です。
前の一条院の御即位の日、大極殿を設えるために人が集まっていた時に、高御座の中に、髪の毛も付いている血だらけの首を見つけた。とても驚き慌てふためいて、どうしたら良いかと思い、これほどの事は隠す訳にはいかないので、大入道殿(兼家)に、『これこれ大変な事が起きました』と、某の者が申しあげたのだが、とても眠たそうなご様子で、何の返答もなかった。聞こえなかったのかと、 又お伺いしたが、眠ってしまわれたようで、ご返答がない。おかしい、本当に寝入ってしまったとは見えないので、どうしてこのようにしているのだろうと思って、御前に近づいていると、驚いたご様子で、『設えは終わったのか』と仰られる、どうしても耳に入れたくはないのだろうと忖度し、その場を立った。とても大事な祝ひの儀が、今日になって中止ということになるのは、とても忌々しいことで、ひた隠しにした方が良いのに、それを考えもなく申すかと思われただろうと、後に、某もいみじく悔いたそうだ。