4月7日、10時45分、札幌を出発した。10:58分、新川通り沿いの駐車場が広いセブンイレブンに寄った。車は店舗から一番遠く車が1台も停まっていない場所をわざわざ選んだ。出発したばかりで少しの災難にも会わないためだ。こんなに慎重になったのは、運転免許を取ったばかりの頃以来だ。飲み物と、いつものじゃがりこをお伴にした。新川インターから道央道に乗り、一度も止まらず登別室蘭インターで高速を降りた。お目当ての食堂の途中にあるイエローハットでトイレを借り、12時46分、室蘭市日の出町の1598食堂に着いた。
ここは、元々は日の出町市場だったところで、その中にひっそりと1598食堂はある。海鮮が絶品だが、室蘭ブラックイタンキ浜昆布醤油ラーメン、極みだし昔風海藻塩ラーメン、玉ねぎ10㎏を2日間煮込んだカレーなど、名物料理も沢山ある。連れ合いはあとひとつしか用意できないと言っていた生本マグロぶつ切り刺身定食1300円、僕は、本日の日替わり定食1300円を頂くことにした。生本マグロぶつ切り刺身定食は確かに豪快だ。赤身に中トロ、大トロ部分も所狭しと山盛りになっていた。これなら2食分出来たのではないかと思う程の量だった。本日の日替わり定食もそりゃぁ見事なもので、マグロにハマチ、紅鮭、蛸、甘海老の刺し身と、脂の乗ったサーモンハラス焼き、汁、副菜2皿ととても豪華だった。サーモンハラス焼きも絶品だったので、サケが大好物の連れ合いに少しお裾分けした。連れ合いは出されたご飯は残さないのが信条で、そんなに無理しなくても良いのにと思うのだが、「苦しい、苦しい」と言いながらも流石、全てを平らげていた。帰りに、地獄チャーシューなるものを購入した。地獄と名付けられたものだ、『辛いのか? どうなんだ? 」と、とても心を惹かれてしまったのだ。とにかく、お土産として購入した上で、姉の家で味見させてもらおう。
次に向かったのが、中島町にあるモルエというショッピング街のスーパーアークス。駐車場に入るや否や横道から車が一時停止もなしに結構なスピードで突っ込んできた。慌ててブレーキ。これから旅行が始まるというのに、こんなところで事故でも起こしたりしたら大変だ。交差路が出てくるたび、こちらはノロノロと進む。店内に入ると、生鮮の陳列棚を端から端まで見て回った。一宿ではないが、一湯一飯の恩義に何かお土産を買わなければならない。美味しそうな道産のブランド牛と、私の勤めている会社が入っているビルのオーナーが始めた山羊ミルクを使った超高級アイスがたまたま置いてあったので、それをお土産にした。牛肉の方は、そのまま夕食になっても良いだろうし。
午後2時頃、八丁平の姉夫婦の家へ着いた。いつものように、マルチーズがお出迎え。こんなに走り回って疲れないのかと思うが速いか? 走るのが速いか? 「うるさい、静かにして」と姉が一喝する。
ひとしきり、旅の予定などを説明した後、お風呂に入らせてもらった。ここの湯船は
凄く広い。連れ合いは、端から端まで足が届かない、油断すると溺れると言っていた。早く帰ってくると言っていた、アパートの管理人をしている姉の旦那は、水漏れがあるとの住人の依頼で、工事業者を待っているという。遅くなるようだ。飯は先に食べててと連絡が来たが、慌てて食べる必要もない。結局六時半頃戻ってきたので、一緒に海鮮丸の特上寿司を御馳走になった。そしてまた、旅程の話になった。連れ合いも相当馴れてきたようで、説明に淀みがない。義兄も、僕たちの旅に興味津々だ。
「お伊勢さん…良いよね。俺たちも今度行ってこようよ、お伊勢さん参りに」
「嫌、面倒臭い」
おっ、一蹴された。年を取れば取るほど色んなことが面倒くさくなってくる。そういえば、農家顔負けの野菜作りも、今年からやめてしまったらしい。その代わりに、空いた場所に義兄が大蒜を植えているようだ。食べられるほどの大きさではないと言っていた。私の年老いた母も、父が亡くなり同居していた時は、口を開くと「面倒臭い、面倒臭い」と、口癖のように言ってたものだ。面倒臭いと感じた時が、老化の始まりなのかもしれない。
18:45 姉の家を出発。改めでマルチーズからの壮行のけたたましい挨拶があり、車に乗り込んだ。
19:35 津軽海峡フェリー室蘭港フェリーターミナルに、到着した。連れ合いが受け付けを済ませて、後は乗り込むだけとなった。待ち合い場所が建物の裏にあると言うことで、車を走らせると、右手に大中小のトラック、左手に乗用車が4台並んでいた。4台ともライトは点灯していなかった。後ろへ並ぶのか? それとも、先頭の車の横に? と悩んだが、どこに停めても良さそうな看板を見つけたので、横に並んで停めた。とにかくトラックが多い。トラック30台くらいと、乗用車が6台。2–3分すると、係りの人が来て、4台並んでいる最後尾に着くようにと指示され、その通りにした。ちょうどその時、小雨が降ってきた。
20:15頃、人が次々と行き交い、あたりが慌ただしくなって来た。愈々入船開始だ。まずはトラックから入船し、20:23 フェリーに乗り込んだ。船内に入ると左手にエレベーターがあった。これで行けるかな? と、思いつつ、他の乗客と同じに、行き違いをしながら登っていくエスカレーターに乗り3階まで行くと、そこには、カップラーメンの自販機が2台あり、10人ほどが座れるスペースと、フロントがあった。僕らを見るなり、乗務員さんが、こっちだよと、手と目で合図する。それに気づかないふりで、フロントへ行き、401号室は何処ですか? 前の階段を登ったところです。何と、エスカレーターもエレベーターもなかづた。重いトランクケースを持ちながら階段を一歩一歩進んで、部屋へ入室した。期待したほどではなかったが、流石にスウィートルーム。風呂、トイレ、ベッド2台、テレビ、艦内着、普通のビジネスホテル並みの装備だ。青森で降船後すぐに長時間運転するため、リーズナブルではなかったが、記念の意味も兼ねてスイートルームを予約したのだ。
20:55分、ライトアップされた白鳥大橋をくぐり青森に向かい、大海原へ。テレビは受信状態が悪い。携帯も、動いて30分くらいして、繋がらなくなった。
フェリーの説明書には『着く前にアナウンスしますので、車に乗り込む準備をお願します』と書いてあったが、念のため到着40分前の2:50には起きることにした。少し咳が付いてきたのが気になるが、のど飴をひとつ口に入れ、後の記憶はない。
4月8日、2:50、起床。「なかなかアナウンスが鳴らないね、到着遅れているのかな? 」3:40、アナウンスがあった。「本船は定刻通り青森に到着します。車で乗船のお客様はすぐに車にお戻り願います」慌てて車に戻り、3:50、青森に到着。アナウンスで起きようと思っていたら、みんなに迷惑をかけるところだった、起きててよかった。
3:30青森に到着。こちらも小雨が降っていた。ここまでの道程は158.3㎞。旅はまだ始まったばかりだ。
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