あれほど、身の置き所がなかった初出仕から、4か月が過ぎようとしていた。寒さのために薄紅色に染まった定子の御手を目にして、心のときめきを抑えられなかったあの日から較べると大きな変化と言わざるを得ない。元々備えていた教養とウイットに富んだ適応力があればこそだったのだろう。少しだけ斜に構えて、物事や人の機微を繊細に捉え、皮肉混じりに批評する姿は、稀代の毒舌家である有吉をも彷彿とさせる。まぁ、女性なので有吉にはない女性ならではの可愛らしさも備えている、見てて全く周りを飽きさせない女性だったのだろう。現代ならギャルと呼んでも良いのかも知れないほど、自分の中に一本太い芯を持っている。
中宮定子の父で関白の藤原道隆が主催する一切経供養の為に、定子が入った二条の宮の急ごしらえの装い。狛犬などの白に対比した作り物とは到底思えないほどの出来映えの桜の色、訪れる殿上人の青鈍の固紋の御指貫、桜の直衣に紅の御衣三つばかりの重ね、定子を始めとした、女房たちの紅梅の濃いのや薄い織物、固紋、竜紋など、唐衣は萌黄や柳や紅梅など色とりどりで、とにかく色の描写が圧巻。まるで千年前の平安の世界に実際に足を踏み入れたかと勘違いするくらい生き生きとした色彩を感じずにはいられない。とにかく色を表現させたら天下一品だ! という言葉さえ色褪せてしまう。
法興院の尺泉寺(積善寺)へ向かう時に、斜に構え、他の女房たちが慌てて乗り込む様子を仲良し3人組で冷ややかに観察し、自分たちは、車差配の宮司に嫌みを言われつつ最後の車に乗り込む。定子は真っ先に着いて少納言が着くのを、今か今かと心待ちにしている。少納言たちが着いてすぐに定子から部屋に来るように呼びつけられるのだが、その時の定子の、まるで昔からそこにいたかのように、その場になじんでいる様子に、少し驚くが、そうよね、宮さまが場になじむのではない、場が宮さまになじむのだ、と、おかしくてたまらないのだろう。既に、そこまでの余裕すら伺え、確かにただ者ではないのだ。
『「いつのまに、こうも長年住み慣れたところのように寛いでいらっしゃるのか」と、つい可笑しくなった。』
私が説明するのもおこがましい、たまるか〜!
後世の研究者の中には、あまり良い評価をしていない人がいるのも致し方ないことなのかもしれない。だが、本当の清少納言はとっても可愛らしい女性なのだ。千年後の未来まで、ひとつも色褪せていないのが素晴らしい。