宮様が明日、積善寺へお渡りになられるということで女房たちが皆参上している。南の院の北面には、高坏に火を灯して二人三人四人と、いつもの仲間同士で集まっている。御几帳を隔てとして使っている者もいる。衣が重なり合い歩く為に足を置く隙間もない程、とにかく大勢いる。裳に腰紐をさし、皆一心不乱に化粧をしている。髪などはまるで明日以降は無くなってしまうかの様にとても大切に慈しんで手入れをしている。
「宮さまが寅の刻にお渡りになられるということです。どうして今まで参上しなかったのですか? 扇を持たせてあなたを探しに来た人がいたそうですよ」と告げられた。
そういうことで、寅の時かと思って正装して待っていたが、朝になり陽も出てしまった。西の対の唐廂に車を寄せて乗るはずだということで、女房たちみんなが渡殿へ詰めかけた。まだ初々しい新参の女房たちは古参の女房たちの後ろに隠れるように慎ましげにしている。西の対に道隆さまの住まいがあり、宮さまもそこにいらっしゃる。女房たちが車に乗り込むところを、宮さまたちが御覧になられる。御簾の内には、宮さま、淑景舎さま、三、四の姫君さま、宮さまのお母さまの貴子さまとその妹三人が立ち並んでいらっしゃった。車の左右に大納言伊周さまと、三位中将隆家さまのお二人がそれぞれお立ちになり、簾をうち上げ、下簾を引き上げて女房達をお乗せになる。皆ひとところに連れ立っていくのなら隠れるところもあるだろうが、書き立てに従って名前を呼ばれ、四人ずつ車に乗って行くので、それもままならない。名前を呼ばれて歩いて行く時は、皆の前で顕証になるので恥ずかしい気がするやら、晴れがましい気持ちになるやら、とても不思議な感覚でなんとも言葉では言い表すことが出来ない。御簾の中にいらっしゃる大勢の方々の中でも、とりわけ宮さまに見苦しいと思われたくない。身体から冷たい汗が吹き出て肌の上を滑るように滴り落ちていくのを感じる。綺麗に飾り立てた髪が逆立ちそうになる。
宮さまたちの御簾の前をなんとか通り過ぎると、今度は伊周さまと隆家さまがとても立派な立ち居振る舞いで、微笑みながらこちらをご覧になっている、とても現実のこととは思えない。倒れずにそこまで辿り着くことが凄いことなのか、厚かましいことなのかわからないけれど、皆乗り終えたので車を門から引き出して二条の大路に榻を立てて、物見車のようにして立ち並べた。里の者たちも私たちのことを興味を持って見ているかと思うと、見られる側にいる自分に心がときめく。四位五位六位の者達が大勢、車のところに出て来て私たちに話しかけてくる。
その後は、道隆さまの妹で一条天皇の御生母でもあられる東三条院詮子さまの御迎へに、道隆さまを先頭として、殿上人、地下の者達と、皆で参上する。詮子さまが積善寺にお着きになられた後、宮さまが出発なさる手はずになっている。
詮子さまの御車が待ち遠しいと思っていたが、陽が高く昇ってからいらっしゃった。御車は全部で十五、一の御車は唐廂の車だった。それに続いて四つの尼車、後の乗り口より水晶の数珠や薄墨色の袈裟衣などが見えている。簾は上げず、下簾も裾が少し濃い薄紫色だ。次に女房達の車が十台続く。桜の唐衣、薄色の裳、紅の打衣を揃って着ていて、固織の表着がとても優雅だ。陽はとてもうららかで、空は浅緑に霞み渡り、女房の装束が映える、いみじき織物の色々、唐衣などよりも優雅に見えてこの上ない。道隆さまをはじめとして、その次に控えている道兼さまや道長さまなどいらっしゃる方全てが、詮子さまを大切に思い、傅いていらっしゃる姿はとても素晴らしい。私たちはこの行列を見て祭りを見に来た時のように興奮する。あちらの行列からも、こちらの車が二十立ち並んでいるのを見て、また素晴らしいと感激しているだろう。
宮さまも早くお出ましになれば良いのにとお待ち申し上げていた。待ち遠しく思っていたが、やっと采女八人を馬に乗せて引き出るようだ。青裾濃の裳、裙帯、領巾などが風に吹かれてなびいている。裙帯は裳の左右に垂らす幅広の装飾用の紐のことで、領巾は肩にかけ左右に垂らす細長い白布のこと、呪力をもつと言われていた。豊前という采女は葡萄染の織物、指貫を着ているのでとても目立っている。薬師で典薬の頭の丹波重雅の想い人だ。「重雅は色許されにけり」と、山の井の大納言が笑っている。次々と采女の車が続くその時、今まさに宮さまがお発ちになられた。詮子さまの行列も見事だったが、宮さまの行列はこの世に較べるものもない、とても素晴らしいものだった。
陽が華やかにさし上がる程に、御輿の屋の先端に付けた金色の擬宝珠飾りの水葱の花がとても煌びやかに輝いて、御輿の帷子の色、艶さえもこの世の物とは思えないほど綺麗だ。御輿をぐるりと廻している御綱がぴんと張られ、お出でになられた。御輿の帷子の揺らいでいる様子を見ても、感動で髪の毛が逆立つと言われているが虚言ではなかった。そもそも髪の毛が良くない人でさえ、御輿のせいにしてしまうかもしれない。言葉に言い表せられないほど荘厳な趣のある御輿でさえ霞むほどの厳かな美しさで輝く宮さまに、どうしてこんな私がお仕え出来るのだろうかと、尚一層畏れ多く感じる。宮さまの御輿が私たちの前をお通りになる。轅を下ろしていた車にまた牛を繋げて、私たちも宮さまの後に続いていく。宮さまと一緒に積善寺に向かえることがとても誇らしく、またこれから起こることに対して気持ちが益々高ぶってきた。