(画像はWikipediaから引用)
鶴ヶ城東口駐車場を出て、元来た道を戻る。突き当りを左に曲がり、121号線にぶつかったところで右折した。レトロな雰囲気の建物が多い野口英世青春通りを左手に眺め車を走らせること7分、なかなかお目当ての喜多方ラーメン屋が見つからない。喜多方市までここから20㎞、車で30分ほど走らせないと無理かな? と、思い始めた矢先、左手に「喜多方ラーメン 来夢」の文字が目に飛び込んできた。平屋建物のファサード上部に大きな看板が見えたのだ。すかさずウインカーを左に出し駐車場に入ることができた。車21台分が停められるその区画は四角ではなく変わった台形型だ。上底が下底の半分ほど、上底から下底までの距離が車幅で15台くらいの広さだ。喜多方に本店がある割と有名な店だった。僕は一番人気の喜多方チャーシューラーメンと餃子を頼み、連れ合いは塩ラーメンを頼んだ。あっさりとしたスープだが旨味もしっかりとありとても美味しい。チャーシューもとろける感じで最後まで飽きのこない味だった。たっぷり二時間歩き続けた鶴ヶ城散策で、疲れを感じていた身体が美味しいスープで回復してきたようだ。
お腹が膨れたので、次の目的地である御薬園へ向かうことにした。来た道をUターン、少し車を走らせてから左折しまっすぐ行くと64号線(会津若松裏磐梯線)にぶつかった。そこを右折し、しばらく直進、南千石町の交差点を今度は左折する。車2台がぎりぎり行違える細めの道を少し行くと右手に御薬園が見えてきた。道路に隣接した右手一帯が駐車場になっていた。鶴ヶ城を散策した時に購入した共通入場券で中に入った。
入口の歴史を感じさせる木で出来た門柱の右には「文化財指定庭園」、左には「薬用植物園」の木看板がかかっていた。門をくぐると、幅30cm、長さ360cmほどの長板3枚を横に並べた遊歩道が庭園中を四方に張り巡らされていた。真っ直ぐ歩いていくと、左手に薬草がたくさん植えられていた。「おぉー」と声をあげて歩いていると、ボランティアの方が声を掛けてきた。
「ご案内しましょうか? 」
「はい! お願いします」
二つ返事で庭園の案内をお願いした。年のころは70歳くらいだろうか。薬草ひとつひとつ丁寧に教えてくれる。一通り薬草のご教示をいただいたあと、左手奥にふと目を遣ると、そこには建坪45坪、総床面積80坪の入り口に鍵が掛けられた重陽閣があった。
重陽閣は昭和天皇の弟宮秩父宮雍仁親王殿下と旧会津藩主・松平容保の六男で初代参議院議長を務め、当時アメリカ大使だった松平恒雄氏の長女である松平節子との婚約を祝して、東山温泉新滝旅館に三階建の別館を建てたもので、1973年に御薬園に移築された。名付け親は秩父宮妃勢津子后殿下。勢津子さまの誕生日が9月9日(重陽の節句)であったことから名付けられた。かつて、朝敵とも呼ばれた松平容保の孫にあたる勢津子妃殿下のご成婚は、会津の旧藩士の復権に繋がり、「逆賊の汚名が晴れる」と、涙を流して喜びに明け暮れたという。「勢津子」への改名は、雍仁親王殿下の実母である貞明皇后陛下の名「節子」と同名だったことから、皇室ゆかりの伊勢と、松平家ゆかりの会津から一文字ずつ取ったものだ。余談だが、勢津子さまは学習院初等科時代に樺山愛輔の次女の正子(白洲正子)と同級生であり、生涯の友だった。
重陽閣の簡単な説明と、秩父宮妃勢津子后殿下の植樹の話を伺った後、連れ合いがボランティアの方に声を掛けた。
「中、入れますか? 」
鍵を開けてくれて、早速中に足を踏み入れた。
2階は、立ち入り禁止だった、階段や床など古くて危険なのだろう。1階には、勢津子さまゆかりの写真が飾ってあり、壺などの調度品も立派で歴史を感じた。2階には、竹久夢二の掛け軸なども飾ってあるらしい。見られなかったのが残念だ(https://mosu3.blog.fc2.com/blog-entry-173.html)。勢津子さまが植樹した木もすくすくと元気に育っていた。大切に守られてきたのだろう。庭園には心字の池があり、説明書きの立札がある。『今からおよそ六百年前の至徳年間(室町時代)朝日保方という白髪の老人が病気で苦しみ農民を鶴の舞い降りた泉の水で救ったといわれています。農民はこれを喜び祠を建てて朝日神社とし、この霊泉を鶴ヶ清水と名付けたということです。』と書かれていた。現在この池の水は、猪苗代湖から戸ノ口用水を経て心字の池を満たしており、男滝と女滝に分かれている。池には中島があり、納涼・茶席・密議に利用された楽寿亭が建っており、戊辰戦争時の維新軍兵士がつけた刀傷が今も残っていた。
御薬園を後にして、ホテルにチェックインした後、16:20、東山温泉「今昔亭」に入湯、二人で2,200円のところ、ネットで見つけたクーポン利用で1,800円。その後、食事をし、セブンイレブンで、セブンプレミアムエールズ、カナディアンハイボール、天然水、強炭酸、炭火焼鳥を購入し、ホテルに戻った。このホテルでは洗濯機・乾燥機が使えるので早速洗濯をしたものの、乾燥機が使えず(乾燥機は止まっていたのだが、他の宿泊客の洗濯物が取り込まれておらず使えなかったのだ)、やむをえずドライヤーを使いながら乾かし、風呂場で干しながら寝る事にした。