/活動日誌/閑話/16Day's 16Day's 7章の② 伊勢神宮 外宮(難題) 2026-09-21 ( 初回配信 2026-09-21 ) facebook tweet LINE はてブ Pocket 次のバスに身を滑り込ませ、いよいよ外宮へ向かう。外宮に着いた瞬間だった。空が堪えきれなくなったように裂け、雨が滝となって落ちてきた。歓迎というには少々手荒い。だが、伊勢神宮の雨は「禊の雨」だの「瑞雨」だのと呼ばれ、神様からの歓迎状らしい。歓迎されるのはありがたいが、少々手心を加えてはくれまいか? と頭に浮かんだが、神様の恵みなのでありがたく受け取らない訳にはいくまい。もっとも、こちらも丸腰ではない。連れ合いが用意してくれたポンチョがある。頭からすっぽりかぶれば両手が自由になる。傘を片手に右往左往する必要もない。なるほど、旅というものは準備で半分決まる。私は改めて連れ合いの周到さに感心しながら拝礼し、鳥居をくぐった。 表参道火除橋を渡り、手水舎で手と口をすすぐ。雨に全身を洗われているのだから今さらという気もするが、こういうものは理屈ではない。神楽殿を右手におさめ、風宮、多賀宮へ向かう。九十八段の石段が待ち構えていた。最初で最後のお伊勢参りになるかもしれない。息を切らすどころか、気持ちだけはスキップでも行けそうなくらい軽快に上る。ところが困ったことに、別宮というものは私の目にはどれも立派で、どれも神々しく、そしてどれも似て見える。感性という大切な忘れ物を母親の胎内に置き忘れてきた身としては、帰宅後に写真を見返しても「これはどこだったか」と首をひねる始末だ。名探偵という人種が共通して持っている、あの微細な違和感を嗅ぎ取る能力など、私には生まれつき搭載されていないらしい。結局、「全部きちんとお参りした」という事実だけを記憶の幹に打ち込んでおくことにした。やがて式年遷宮のための御敷地を右手に見ながら進むと、正宮である豊受大神宮にたどり着いた。人生初のお伊勢参りである。何か特別な願い事でもと思った。しかし考えてみれば、「お伊勢参りをしたい」という願いそのものが、いままさに叶ったばかりなのだ。欲張るのも野暮である。いつも通り、「世界平和、家内安全、商売繁盛」をお願いして頭を垂れた。それから御朱印を拝受するために、御敷地、四至神、五丈殿・九丈殿と戻り、外宮神楽殿にて、御朱印帳と500円を納め、順番札をもらう。順番札を握って待つ時間には妙な充実感がある。やがて番号が呼ばれ、墨の香りの残る御朱印帳を受け取ったとき、旅の一日が確かな形を持った気がした。 雨は相変わらず容赦がない。そこで、外宮の勾玉池のほとりにあるせんぐう館へ避難した。避難といっても、ここは立派な博物館である。伊勢神宮と稲作の関係、神饌の調理、忌火の起こし方、式年遷宮の技術と歴史。展示物は次々と現れる。なかでも圧巻だったのは外宮正殿の原寸大模型だった。人間という生き物は、ときに実物以上に実物らしい模型を作る。展示は第八展示室まで続く。これだけ見せてもらって入館料三百円。都市部でコーヒーを飲むより安い。値段の付け方を間違えているのではないかと心配になるほどだった。 じっくりと外宮を堪能して、参道の商店街をぶらつく。「手荷物預かります お一人二個まで二百円」看板にそんな文字を見つける。旅人にとって荷物ほど厄介なものはない。人生の荷物も預かってくれればなおありがたいが、そこまでは商売の範囲外らしい。昼食は「あそらの茶屋」。鮑釜飯に見事に釣られたのである。旅先で人間の意志などというものは、だいたい胃袋に負ける。新しい建物が多いが、ところどころに古い時間が染み込んでいて、騒がしさのない落ち着いた雰囲気がある。途中、刃物店で「神話占合」というものを見つけた。百円を払い、木箱から一本の棒を引く。渡された紙にはこう書いてあった。「難題があっても恐れずに突き進んでください」ありがたい訓示だが、その時の私は、この言葉が数時間後に猛烈な説得力を持って迫ってくるとは夢にも思わなかった。 雨脚はさらに強まっていた。路線バスで倭姫宮へ向かう。神宮徴古館前で降り、慌ててポンチョを羽織る。ところがなぜか裏返しだった。人間、急げば急ぐほど愚かなことをする。結果、ポンチョはポンチョとしての使命を放棄し、私は全身びしょ濡れのまま歩くことになった。倭姫宮は人影もなく静かだった。天照大御神を伊勢へ導いた倭姫命を祀る宮である。不思議なことに、このときだけ雨が小降りになった。木々に囲まれた境内には深い緑の匂いが漂い、先ほどまでの豪雨が遠い出来事のように感じられた。その後は徴古館、農業館、美術館を二時間あまりかけて巡った。模型や文化財を眺め、人々の知恵と執念の蓄積に感心する。 ①神宮懲古館 一階建てかと思っていたが、地階があった。式年遷宮で解体された御饌殿の実物を復原展示している。中央ホールには、明治42年(1909)の第57回式年遷宮造営工事の参考として製作された正宮の模型が、そのほかにも貴重な文化財が数多く展示されていた。②神宮農業館 有栖川宮熾仁親王を総裁とした神苑会は総合博物館の建設を目指していたが、規模が大きすぎたため目標をしぼる必要が生じていた。そこへ明治23年恐慌がおこり、また日清戦争をひかえ寄付金が思うように集まらず、やむなく規模を縮小して明治24年、徴古館の一部としてまず外宮前に農業館を建設した。設立責任者に選ばれたのは日本の博物館の生みの親と言われる貴族院議員で物産学者の田中芳男である。田中は「自然の物産がいかに役に立つか」をテーマに農業を主として林業・水産業などの資料を展示した。③神宮美術館 伊勢神宮に奉納された絵画・書・彫塑・工芸を収蔵・展示しており、当代美術の粋を一堂のもとに鑑賞できる美術館※展示物などは、https://museum.isejingu.or.jp/museum/index.htmlのサイトで詳しく見ることができます。 雨が更に激しさを増す中、帰路はさらに過酷だった。ホテルへ向かう直通バスはない。鳥羽水族館前で降ろされる。タクシーを呼ぼうにも捕まらない。屋根付き駐車場には同じ境遇の難民たちが集まり、みな雨を見つめながら途方に暮れていた。連れ合いが言う。「鳥羽駅まで歩こう」私の咳は旅行開始以来の絶頂期を迎えていた。ここでさらに雨中行軍を続ければ、病人への道を着実に前進することになる。しかし代案もない。占いの紙が頭をよぎる。「難題があっても恐れずに突き進んでください」なるほど、これか。十五分後、半ば泣き言を漏らしながら鳥羽駅へ到着した。さらに一時間待ってようやくシャトルバスに乗り込む。ホテルへ着いたときには、生還という言葉が大げさではない気分だった。温泉へ飛び込み、ようやく全身の力が抜ける。湯気に囲まれながら、自然と今日一日を振り返っていた。昼に引いた神話占の「難題」、確かに道を示されていたのではないかと。その夜は豪華バイキングだった。伊勢海老、鮑、松阪牛。そう聞いていたのだが、時代が変わったのか情報が古かったのか、松阪牛以外の期待していた面々は姿を見せなかった。それでも飲み放題のビールをつけて存分に腹を満たした。締めて9700円也。部屋へ戻り、仕上げの缶ビールを一本空ける。雨に打たれ、神宮を巡り、占いに翻弄され、温泉で蘇生した一日。缶の底に残った最後のひと口を飲み干したとき、ようやく伊勢の長い一日が終わった。 250413134350034 260913094509342